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恐れ多くもインディーズ番組なるものを制作させていただいていることだし、せっかくだからHFにとってのメジャーシーン、
地上派のテレビ番組について適当に思っている事を思いつくまま描きたいと思う。 別に本気になってテレビというメディアについて調べたり考えたりしてる訳ではないので、かるく読み流してもらえればうれしい。
実は、ここ数年ちょっとした悩みがある。
そう、ここ数年、俺はバラエティ番組を見る事が苦痛になってきているのだ。例えば、俺が居間で飯を食っていた時に誰かがバラティ番組をつけたとしよう。
おそらく俺は飯を中断して居間から立ち去り、その人が見終わるか、番組が終了するのを待つ、もしくは居間から撤退し、飯を自室に持ち込んで食べるだろう。
俺はもはや自分のいる空間でバラエティ番組が流れている事すら耐えられないのだ。これは完全にノイローゼだ。
一体バラエティ番組のなにがそんなに苦痛なのかって?
白状しよう。俺は気になって仕方がないのだ。あの「足された笑い声」が、、、。
「足された笑い声」つまり、視聴者のつられ笑いを誘う、もしくは賑やかさを演出するSEとしてバラエティ番組で多く利用されておる、
実際の収録時には(たぶん)存在せず、編集の段階で音声トラックに上書きされた数人の笑い声。のことである。 このSEがあることで視聴者は微妙な笑いどころに気づく事が出来たり、
TVの楽しそうな雰囲気の中で一緒になって笑ってるかのごとく一体感を覚えたりしてとてもありがたい存在なのである、多分。
僕が初めてその存在に気づいたのは確かドリフとかご機嫌テレビとかあの時代で、そのころの笑い声は基本的におばちゃんの笑い声だった。
とんねるず全盛期あたりからいつしか笑い声はスタッフっぽい人の笑い声に変わっていき、今のバラエティ番組はこの「スタッフ笑い声」がほとんどだよね。
なんでおばちゃんからスタッフの声になったのかという疑問の中にはおそらくバラエティ番組の流れの大きな転換が隠れていると推測されるが、それについてはここでは触れない。
どうしても気になる人はナンシー関さん がとんねるずについて書かれている文章を読めばなんとなくわかった気になれると思うので読んでみて。
話を戻すと、とにかく俺は、今は常識となったあの笑い声SE、つまり足された笑い声SEがここ数年妙に気になりすぎて、そのうちに笑い声SEを自分の頭の中で差し引いて、つまり音声的に聞かなかったことにしてバラエティ番組を見る、という変な癖が身に付いてしまったのであります。
そうするとどうなるか。
なんと今まであんなに面白かった、お笑いを含むすべての芸能人が すべからく「ただの調子ノリ」『ただのひょうきんもの』というかむしろ「ちょっとサブイ人」に感じてしまうのですよ。
皆さんも一度想像で笑い声SEを消しながらバラエティ番組を見てみてほしい。笑い声SEを差し引いたその場がかなり静かなことに気づくだろう。
そしてそれは思っている以上にサブーイ静けさとして感じられることに。そして笑いを足された芸能人の、まるで笑いを足されている事を理解して安心してボケているような「ワカッテル」『オイシイコトニナッテイル」「ウケタコトニナッテイル」顔(そう見えてしまうという事ね)がまた見ていてツライから。
俺が多少ひねくれているのはわかっている、こんな癖をもっている俺の方がオカシイということも、 しかし少しでもいいから理解してもらいたい。
「場が寒ーい感じになっている、しかし当の出演者はそれに気づいておらず、むしろウケているノリでさらにボケる→ 笑い声SE投入、しかし笑い声SEは俺の脳内で差し引かれる→静寂のサブーイ感じ、」という極寒のネガティブ永久連鎖が俺の気分をどんどんダウナーにしていくのと同時に、笑い声足しときゃ何とかなるだろ的にひたすら繰り返される笑い声SEのループが弱った俺をさらに鬱レベルにまで陥れようとする、その苦痛を。
これは俺が映像編集なぞをやるようになったからそんな見方をしてしまうだけなのでしょうか。
最近は芸人さんがほんまに面白い事言っててもあの笑い声SEを聞くだけで面白くなくなってしまうのですよ。 せめて明石家さんまのように実際の笑い声で(たとえ笑っているフリであったとしても)盛り上げてくれるのであればありがたい。
あの機械的な笑い声SEを乱用するお笑い番組はほんとに気が滅入る。コント系のヤツは特にひどいような気がする。あのSEが入った番組すべてが面白くないとは言わない。
だが笑い声さえ足しときゃなんとかなる的な「お笑い番組」と称するバラエティ番組が多く存在する事もまた確かだと思うがいかが?
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